一枚のレコードから
私にとっての、この1枚
ヴィーナス・アンド・マース/ポール・マッカートニー&ウイングス
こばやち
1999/08/14
この話をするからには彦ちゃんとのコトを書かねばなるまい。
ウチから徒歩1分弱の近所に住む幼なじみである。
小さな頃から仲良くて小学生の時分には毎週お互いの家に泊りにいって、
酒も飲まずに(あたりまえだ)夜通し音楽や映画、モデルガンや車の話で盛り上
がっていたものです。
その当時深夜TVで「独占おとなの時間」という番組を12chanでやっていまして
今にすればまったくかわいい番組でありますがとにかく見たくてしょーがない。
そこで土曜の夜、小さなTVを布団の中に引っ張り込んで、
2人で頭から布団かぶって始まるのをドキドキしながら待つのですが、
なんせコドモ、待ちきれないで2人で寝ちゃって、
彼のおかあさんに見つかっちゃったなんてカワイイ想い出があります。
(本文にはまったく関係ナイ話。)
で、その彦ちゃん、バリバリのビートルズ・ファン。
当時2枚組みのLPなんてガキには高価で手がでなかったのでありますが、
彼はあのBEST盤、赤、青、両方持っていまして
みんなから羨望の眼差しを受けていました。
あの頃もちろんビートルズは存在せず、
各メンバー4人共ソロで活躍していて、
ちょうどジョンは隠居に入る直前で「シェウヴド・フィッシュ」という
BEST盤をリリースした直後、
ポールはこの「ヴィーナス・アンド・マース」を出す直前といったところ。
なんせビートルズ解散から不評であったポールが放った逆転満塁ホームランの
「バンド・オン・ザ・ラン」の次のアルバムということで、
世間の期待や注目度はいやがおうにも高まっていました。
ここで彦ちゃんが黙っているはずはない。
当然真っ先に彼が購入するはずであったのだが・・・。
当時小学生で自由になるお金なんて些細なもの。
LPなんてのは高値の花でめったに買えるもんじゃない。
そこで彦ちゃん、カツなんかと共同して、
各自買ったレコードはテープにダビングして1枚でも多くみんなで聴こう、
そのためにレコードはダブらないように買うべきだ。
という暗黙の了解があったのです。
なんか買う順番まで決っていたよーな気がする。
そんな中の「ヴィーナス・アンド・マース」の発売。
そしてちょうどその頃がワタシのお小遣いの日だったのである。
例によって3人で駅前の南口唯一のレコード・ショップ石上電気(ただの電気屋)
に行ってそこで又々なにを買うか時間をかけて悩むのである。
この時は正直いつもとは違う迷いで頭はいっぱいであった。
「ヴィーナス・アンド・マース」いいに決っている。
ストーンズと違ってこれは折り紙付きだ。
しかしこれを買うと彦ちゃんの立場が・・・・。
今思うと些細なことなんだけどナイーブな小学生には重大問題なのである。
友情と娯楽、どちらを選んだらいいのか?
悩みに悩んで出した結論は・・・・。
買っちゃいました。だって欲しかったんだも〜ん。
ごめんね、彦ちゃん。
そこまでの思いを込めて買ったレコードだ、悪い訳ないでしょ。
タイトル曲「ヴィーナス・アンド・マース」からメドレーでアップテンポの
「ロック・ショウ」に流れるダイナミズム、ヘヴィーな「レッティング・ゴー」
ヒット曲「あの娘におせっかい」 すべていい。
一般的評価は断然「バンド・オン・ザ・ラン」であるが、それがなんなんだ?
「ヴィーナス・アンド・マース」、文句ありません。
しかしこの事件がトラウマになってか、
今だビートルズのレコードはおろかCDさえ持っていない。
あれから24年、今さら義理立てしなくてもいいのだが・・・・。
今となってはあまり知られていないがこの時のツアー、
日本公演も予定されていたのだが、'73のマリファナ栽培事件を理由に
入国許可が下りずキャンセルになっているのだ。
どうする?行く?と彦ちゃんと話したのを覚えている。
その後'80に成田で捕まって中止になったのはご存知の通りでしょう。
あの時高校1年、チケットぴあのない当時、
彦ちゃんと一緒に新宿の特設売り場で7時間並んだ記憶は一生忘れないであろう。
はっきり言ってその辺のチンピラじゃなくて、ポールだよ。
元ビートルズのポール・マッカートニーだよ。
プルトニウム持ってたってんなら話はわかるが、
マリファナのいくらか持ってたっていいじゃないか。
今だに腹立たしい。
(ちなみに逮捕したのがワタシのイトコの光一さんのおやじって話がある。)
東京ドームは行ったけどさ。
オレはあの頃のウイングスのツアーが観たかったんだ!