一枚のレコードから
私にとっての、この1枚
ボーン・イン・ザ・USA/ブルース・スプリングスティーン&ザ・Eストリート・バンド
こばやち
1999/08/17
あれは二十歳の8月初旬、友人のフクイくんのアパートで、
することもなく、いつものよーにレコード聴いてブラブラしていました。
「暑いな、おい。」
「あたりめーだ。夏だ。」
「どっか涼しいとこ行かない?」
「どこよ。」
「東北、十和田湖あたりなんていいね。」
「行くか?」
「よし、行こう。」
と決るが早く、その日の夕方彼の愛車スカイライン2000GTで
東北自動車道に乗っていました。
その時ちょうど2.3日前に十和田湖インターまで開通したところで、
ノンストップで十和田湖まで一直線です。
話の流れとはいえ、2人ともまさかホントに行くとは思ってなかったので、
道中ものすごく興奮していました。
当時好きだった映画「ブルース・ブラザース」の真似をして、
真っ黒なグラサンかけて、オレがエルウッドでヤツがジェイク役で、
掛け合い漫才のように車の中で2人で大盛り上がり。
高速で当時はやっていたパーソナル無線でいろんな人と話して情報交換したりして、
一晩中走って着いたのは明け方でした。
着いてからもあっちゃこっちゃ走って3:00頃てきとーに民宿探してチェックイン。
そこで2日目に年上の綺麗な一人旅の女性に出会うのです。
ひとめ見た瞬間から2人ともGOサイン。
しかし小心者、なかなか切り出せないんだよなぁ。
しばらくあーだこーだ2人でやりあって、
痺れをきらして私が単独で行きました。
「夕日がきれいなので湖の方にでも行きませんか?」
今思い出しても赤面ものであるが、これがまたOKの返事。
部屋に戻ってヤツに自慢すると
「よくやった。後はオレにまかせろ。」
オメー付いてくる気かコノ。
ここでまたしばらくモメて結局3人でデート・・・。
(よく彼女OKしたな・・・。)
食事の時も席がトナリだったのであれこれ話して、
彼女だけでなく他の家族連れなんかとも親しくなって
食事の後みんなで花火やったりして盛り上がり、
最後は3人で軽く飲みながらプライベートな話に。
24才って言ってたかなぁ。横浜の人で彼氏もいるという。
それで一人旅? あやしいな。
翌日は「ねぶた祭り」だったんだけどそれも観ないで仙台の友人を訪ねるという。
その時オレらは花火一緒にやった家族連れの子供になつかれて、
翌日の約束を例によって調子良く受けてしまっていたのです。
それがなきゃ送って行けたのに。
2人とも(勿論オレとフクイ)これで別れたくない想いが先行し、
とりあえず仙台駅で夕方会う約束を取り付けました。
翌日はたいへんでした。
その家族連れと午前中で別れるや即行で仙台へ。
「ねぶた祭り」なんて眼中ありません。
(しかしこの途中で他の女をナンパしたりしてたりする・・・。)
駅についてから行き違いがあったりしてしばらくウロウロ探していたけど、
(当時ケータイなどという代物はなかった。)
なんとか出会えてちょっと喫茶店へ。
でも、そんな状況じゃ盛り上がらないんだよね。
なんとなく気まずい感じ。
その時の彼女がどんな状況かわからなかったけど、
彼氏がいることは事実のようだったみたいだし・・・。
それでも最後にお互いのアドレス教えあって別れました。
(その後残暑見舞い1通出したきり。)
その時の帰りの東北自動車道でかけていたテープがこの「ボーン・イン・ザ・USA」
このアルバムでは一般にタイトル曲や「ノー・サレンダー」など、
ハードなロック・ナンバーが有名だけど
あの時の車の中ではそれらはすべて飛ばして聴いていました。
「ダンシング・イン・ザ・ダーク」や「アイム・オン・ファイヤ」、
そして「ダウン・バンド・トレイン」。
ミディアム・テンポのナンバーが心に染みました。
一路東京に走る東北自動車道の車の中で、しばらく2人とも無言でいました。
そしてどちらともなく、不意に出たセリフ。
「いい娘だったなぁ。」
「ああ、いい娘だった・・・・。」
このアルバムを聴くと夜の東北自動車道を思い出します。
しかし不思議に彼女のコトは思い出さないのです。
思い出されるのは何故かヤツと2人でのシーンのみ。
とにかく始めての2人旅だったんで、することなすこと楽しかったんだね。
それでも本気で好きだったんだけどなぁ。
正味3日間しか会っていないけれど、今ごろ彼女なにやってるのかな。
二十歳の夏の日の、忘れられない想い出です。