一枚のレコードから
私にとっての、この1枚
ジョンの魂 / プラスティック・オノ・バンド
こばやち
1999/09/23
今の私しか知らない人は信じられないかもしれないが、
思春期の私はコンプレックスの塊で、まったく人前で喋る事ができなかった。
授業中手を挙げて答えるなんてとてもできず、
女の子ともうまく喋れないですぐに真っ赤になってしまう。
しかし仲間内では調子がよくてそのせいか小学6年生の時に、
代表委員に選ばれてしまってえらく苦労した。
なんてったって人前で喋れないヤツが学級委員会で仕切って、
有ろうことか生徒会でその発表したりなんかするのだから、
ほとんど地獄にいるのと同じである。
その時思ったことは学級委員会にしても生徒会にしてもすべてが建前の空間で、
すべて先生の筋書き通りにいかなければいけないコトになっていて、
誰がやったって同じであるということである。
このオレで勤まるくらいだもの、誰でも一緒さ。
中学に上がってもそのコンプレックスだらけの引込み思案の性格はなおらず、
極力、そういった会には関わり合いのないように過ごしてきた。
しかし廻りの親しい友人はみんな目立ちたがり屋が多いのだ。
今付合っている連中のほとんどが生徒会に入っていたヤツばかりである。
2年生なると生徒会や委員会に入ると内申書にそれが記入されて、
受験に有利であるなんてウワサがたって、
その波に乗る連中がすべてバカに見えて、内心軽蔑しまくっていた。
その頃すでにロンドンはパンク・ロックの嵐が吹き荒れワタシも反抗期真っ只中。
表には出さないが先生はすべて敵であると思っていた。
なんだかんだ言ったって先生の考えに添わなければすべてはダメな社会なのだ。
受験という甘い餌につられて躍らされるもんか。
コンプレックスだらけでその感情が表に発散されず、
そして友人はすべてそっちに行ってしまった。
気が小さいのでそれでも何も言えずにいつもぐずぐずしていて、
人前では悟られないよう常にジョークを口走る不安定な生活。
今思えば正に多感な思春期真っ只中であった。
(いや、未だ本質はまったく変わっていない。)
しかしその頃サッカーに出会う。
校庭でボールを追いかけている時はすべてを忘れられた。
これが自分の本当の姿なんだ。
授業中先生に指されるのを怖がってびくびくしていたり、
つまらないコンプレックスでうじうじしている自分は自分じゃないのだ。
小学校から中学まではサッカーとROCKだけが、自分を安定させてくれる
自分にとって唯一の世界との接点であった。
そして他者に自分を表現できるものがサッカーだったのである。
ジョンにとってのROCKは、この私のサッカーであったのではないだろうか?
このレコードを聴くといつもそう思う。
暗い港町で産まれたチンピラ少年が見つけた自分と世界との唯一の接点。
それがROCK'N ROLLであったのだ。そして彼には才能があった。
その絶望感が深ければ深いほどすばらしい作品が生まれるというパラドックス。
ショウビジネスのめちゃくちゃな世界でその深みにハマればハマるほど、
彼の才能は名作を生み出していく。
そして家族をもって安定すると必然的に足を洗ってしまう。
やっと安息の地を見つけたのである。
もう安定を求めて自分を消耗させなくともいいんだ。
彼にとってあのダコタ・ハウスでの生活は幸福この上ないものであったと思う。
しかしその生活にも飽きたのか、戻ってきたその瞬間に殺されてしまう。
戻ってこなければあのまま幸福に暮らせただろうに。
彼をまたROCKに向かわせたものは何だったのだろう?
時代が家庭内だけの幸福や安定を許さなかったのか?
いずれにせよ芸術というヤツはコンプレックス、いや不幸の総和である。