一枚のレコードから
私にとっての、この1枚
冬の十字架/忌野清志郎Little Screaming Revue
こばやち
1999/10/30
年齢ってものに関心がない。
廻りにいる連中が同世代ばかりなので、かろうじて今の年齢を覚えてられるが、
そうでなかったら、たぶん自分が今いくつなのかも解らないだろう。
彼らによると私は来年36才って話であるが
この年齢が意味することがこれまた解らない。
若いんだか、年寄りなんだか、青年なんだか、おやじなんだか。
はっきり言っておとなか子どもかさえ判断できない。
まぁ、世間一般の基準では「おとな」であるとは理解できるのだが自覚がない。
自分の中でのそれらの定義がなされていないので、
判断のしようがないのだ。
とりあえず「自分」であることはわかるのだが、
それさえ時々危ないときがある。
まるで「粗忽長屋」の熊さんである。「自分」っていったいなんなんだ?
こうやって文章にするとまったくヘンなやつであるけれど、(自覚している)
それでもとりあえず日常生活に不自由はしないので良しとしている。
人間関係に歪みができて、友人が少ないってのもあるけど・・・・・。
秋に入って50歳の矢沢と48歳の清志郎の新譜を聴いた。
なんだか彼らも年齢に自覚的でないように見える。
2人共もう20年以上聴いているのだけれど、
あくまで矢沢は矢沢、清志郎は清志郎でまったく変わっていない。
当然音は変わってきているのだけれど、
その根底にあるものはまったく同じである。
特に今回の2人の新譜は昔に戻ったようなイキの良さ。
そしておもしろいのは2人とも最近のインタビューで
言っていることがほとんど同じなのだ。
今、素晴らしいサビを作ろうって気がない。
口なりでいってちょこってはめちゃう。 / 矢沢
どうせ大して売れねぇんだから、何唄ったていいや。 / 清志郎
いい加減である。
カチッと計画的に作るのではなく、
ほとんどその場しのぎのレコーディングであったようだ。
それで尚且つ清志郎の方は発売禁止でインディーズ。
今回、ほんとに久しぶりに清志郎のCDを買ったのだけれど、
まったく昔と変わってない。いや、むしろ磨きがかかっている。
俺は自由 48年間1日たりとも働いたことはない
俺は自由 21世紀も1日たりとも働くつもりはない
そんでもって題が「来たれ21世紀」・・・・・。
「とにかくひどい曲を作ろう」で、できた曲が「人間のクズ」。これの
クズクズクズクズ人間のクズ
ってサビを自分の子どもの「全世界少年少女大合唱団」(笑)にハモらせる。
話題の「君が代」。
こいつはぜひ、サッカーのシドニー予選日本ラウンドの国立で唄ってもらいたい。
清志郎が唄うんだったらダフ屋でチケット買っても観にいくぜ。
しかしコレで発売禁止ってのはすでに理解を超えている。
なにがイカンのかさっぱり解らん。
むしろ他の曲のほうが相当アブないぜ。
とにかくもう、清志郎全開である。
インタビューで言っていた
「ロックは思想である。」
ってのが良く分かる。
ハードなギターにデジタル・ビートがロックではないのだ。
最近の若いミュージシャン、ドラゴン・アッシュも中村一義も聴いていないけど、
どうなんだろうな?
興味はあるのだが聴く機会がないのでなんとも言いようがないのだが、
しかし、この48歳の暴走を聴いたら手が伸びないぜ。
もうバリバリの最高のロック・アルバムである。