[POPS] [平井]

ライブ・レヴュー

DON’T WORRY BABY

こばやち ((再録)) 1999/08/17
オレがマジになると途端につまんなくなるって話もあるが、
どうせ誰も読まないしオレしか書かないゴミ箱のようなページだ。
前回も誤字脱字だらけだったし、どんどん書いちゃえ。

で「DON’T WORRY BABY」である。
あの時の感動をどう伝えればよいか。
この手の話は文章にすると途端に陳腐になってしまう。
「本当に大切なモノは目に見えないコトなんだ。」
と、どっかの小説家(サン・デグジュベリ)が書いていたが、
じゃぁ今この目で読んだこの文は大切じゃないんだな、ってな話もある。
まぁいいや、本題にはいろう。

あの時、あの曲を唄い出した来た瞬間、忘れてしまった遠い昔の色々なことを
あの一瞬ですべて思い出してしまったのである。
何を思い出したってのはちょっと言葉で思い付かない。
けど確かに昔持っていた何かであるのだ。


私の友人で最年少の秀哉くんは昆虫マニアで寝てもさめても虫のことばかりの様子。
寝食も忘れてって言葉がぴったりとくるぐらい熱中している。
そう、かつて昆虫博士との異名をとったこの私にはわかる。
彼にとっては食うことより、女の子より虫のほうが大切なのである。
そしてそれは歳と共に色々な「大切でないコト」が増えていくにしたがって、
隅のほうに追いやられてしまう。
いつだって、どんな時だってそうだ。
それさえあれば他に何もいらないのに、いらないモノばかり押し付けられる。
いらないって言ってるのに、「きっと将来必要になる」と言われ、
その将来とやらになるとすでに「いるもの」、と「いらないもの」の区別さえつかなくなって、
すべてを他人の価値観に頼るようになる。
私はその押し付けが少ない環境に育ったつもりであったが、それでも忘れてしまうようだ。

押し付けられると同時に「不安」な材料も増えてくる。
曰くテストでいい点が取れるだろうか?
そして友人関係、異性関係、での不安。
社会に出れば仕事や経済的な不安が押し寄せてくる。
好きなことに没頭していれば世界は常に安定しているのだが、
他の要素が入り込んでくるとそうも言ってられなくなる。
そしてそれらを消し去る為ありとあらゆる事柄を検討し、仮設をたて、シュミレーションして、
きたるべき不安の元となる事象に備える。
すべての行動に根底にあるのは不安である。
私はモノを創る仕事をしているので常にコノ不安に駆り立てられている。
 自分が作ったものが施主に評価してらえるだろうか?
 社会的に受け入れられるモノを作っているのだろうか?
 自分の考えやスタンスが果たして世間に通用するのであろうか?
無意識のうちにこれらの不安に脅え、
少ない知識と経験から論理を構築して、確かな確証もないまま、
この不安を打ち消して自分が正しいと思い込ませて仕事を続けている。
いいか悪いかなんて価値観は常に移ろうものだし、
絶対的な善なんてものは存在しないのであるからこの私の思い込みなんてものは、
実に不安定なのである。
それでもそれらを基盤に置かないと1歩も前に進めない。
自信がナイっていやぁそれまでだけど、
絶対的な自信なんてものはこの不安に対する自己防衛で単なる自己暗示に過ぎず、
それゆえ柔軟性に欠け、脆いものだと思う。

それらだけでなく、対人関係でだって常にそうだ。
つねに心の片隅に「不安」が渦巻いているのである。
そこでこの DON’T WORRY BABY 。
役に立たない論理なんてものを超越したところでのこのフレーズ。
そう、誰かにこう言ってもらいたかったんだ。
その誰かとはだれでもいい訳でなく、信頼のおける誰かであり、出来れば女性が望ましい。
逆に言えばこのセリフに説得力のある女性が理想なのであるが、
ポップ・ミュージックのすばらしいところは信頼できる特定の誰かなど必要なく、
すぐれたメロディ、すぐれた詩、そしてすぐれたアレンジ、
それさえあれば相手の心にダイレクトに届くのである。
それも人種や貧富に関係なく、多くの人に。

かつてその不安に押しつぶされ、廃人寸前までいった彼だからこそ為し得たLIVEだったのか。
あの日の東京国際フォーラムでの2時間はとても貴重な体験であった。
うん、これでまた明日からやっていける。
 

 心配しないでベイビー、きっと大丈夫
 すべてうまくいくわ

          DON’T WORRY BABY / B.Wilson R.Christian