[POPS] [平井]

マイ・フェバリット・ソング

私にとっての、この1曲

ワン・ステップ・アップ/ブルース・スプリングスティーン

こばやち 1999/08/18
ドライブが好きだ。
空いた道路をお気に入りのミュージック・テープをかけながら淡々と走る。
同乗者はいらない。自分ひとりで他は目まぐるしくかわる風景と音楽のみでいい。
あるときは自分自信と向き合い、あるときは何も考えず、
ひとりきりの空間を楽しみながら、走ることを目的に走る。
仕事や人間関係に疲れると、フラッと埼玉にある隠れ家にひとりで出かけるのだが、
この往復のドライブがまたひとつの目的なのである。

朝のドライブは気持ちのよい爽快感、窓を全開にして音量も高めに走る。
夜は閉鎖的に自分の殻に閉じこもり、真っ暗な夜道と見据えて走る。
雨の日のドライブも好きだ。
その車の中だけ世界から取り残されたような気分。なぜかとても落ち着く。
田舎道をニール・ヤングなんてかけながら走るのもいい。
田んぼの真ん中の一直線の道なんて最高である。

都会で走るときは夕暮れ時から夜がいい。
あまりスピードは出さずに信号につっかえつっかえ走る。
信号で止まると歩行者を見ている。
仕事が終わって一杯飲みに行く人。
恋人とディナーの約束をしている人。
どこにも寄らず家族の元へと家路を急ぐ人。
それぞれがそれぞれのストーリーを持っている。
信号で止まったほんの数分の出会いであるが
たくさんの人生を見るようでおもしろい。
しかしそれらの人達に共通して言えるのは「仕事を終えて」という一点。
みんながみんなという訳ではないが、それぞれホッと一息ついた表情。
「やれやれ、今日も忙しかった」と書いてある。
そんな夕暮れ時、カーステレオからこの曲が流れると
なんとも言われぬ感慨が込み上げてくる。

スプリングスティーンの唄にはストーリーがあり、
その主人公はだいたい労働者、それもブルーカラーと呼ばれる人たちだ。
彼等の辛い日常、救いの無い生活を淡々と唄う。
しかし唄の最後には必ず希望を託して終わる。
絶望の最中の希望を唄うのだ。
その希望を求めて私はスプリングスティーンを聴く。

東京で働く人たちの日常はそこまで辛くはないと思う。
自分自身そんなものには無縁な生活を送っている。
今のこの日本でそんなモチーフの似合う人は数少ないだろう。
しかし夕暮れ時の東京でスプリングスティーンを聴くと
ちょっとした苦さを伴いながらも、
退屈な日常のなかにも希望を見失わずにいられるような、
そんな気持ちになってくる。


http:// www.youtube.com/ watch?v=aszIvK4YP3M