[3] | 長短/桂文治 | こばやち | 1999/08/13 18:46 |
大正13年 東京生まれ。 ちゃきちゃきの江戸っ子のおじいさんを思い浮かべればそれが文治師匠である。 普段から着物姿でバスや電車で寄席を廻る昔ながらの落語家。 そしてただカタチだけオールド・スタイルって訳でなく、 ちゃんと小言、いや現代批評もしてくれる。 とある立食パーティに例によって着物姿であらわれて、 ぼそっと、「昔は立ってモノを食うなんて下品だったんだけどねェ」 日本人が常識として何も考えず受け入れつつも、 どっか無理があると感じている部分をさらりと言ってくれる。 小言や愚痴ってのは大切だと手塚治虫先生も言っておられます。 こーゆうおじいさんてのは大切な存在で、昔はたくさん居たんだけどなぁ。 ほとんど天然記念物に指定されてもおかしくない、 いや、してほしい数少ない存在だ。 その文治師匠、独演会ってやんないんだよな。 たいてい寄席の定席か、どっかの落語会。 これだけのビック・ネームだ、客が入らない訳ないのに。 しかしそこが粋なのである。 けしてNo1争いなんかに顔は出さず、いつもちょっと外したところにいる。 正に生粋の江戸前噺家だ。 だから寄席にあんまり行かないワタシはあまり師匠の高座に接する機会がない。 ほんとにLIVEではほんの数えるほどしか観ていないのだ。 で、なぜか観るたびに「長短」やってんだよな。偶然だとは思うけど。 気の長い長さんと短い短吉っぁんのはなしであるのだが、 この短吉っぁんが、なんだかどーにも文治師匠そのものに見えて おかしくてしょーがないのである。 本人と話したことはないのだけれど、そんなキャラクターなんだよね。 はなしもおもしろいんだけど、 落語の好きなところはその中にいいフレーズがたくさんあって (もちろん演者の演出、噺家のキャラクターによって違ってくる。) この文治師匠の「長短」の中では、 「教えねェ方がよかった」 ってのがいいのだ。(ここだけ出しても面白くもなんともないのだが。) あらゆる意味で現代にも通じるフレーズだと思う。 それらすばらしいフレーズをどうアレンジして現代人に聴かせるかが、 今の落語家の勝負所なんじゃないか。 まぁ落語というスタイルそのものが現代には適していないって話もあるけど、 それはプレーヤーの技量しだいだと思う。 しかし才能あるやつは落語家にならず他の道を選択しちゃうんだよね。 普段落語なんかに接する機会がないから尚更。 スポーツ界で才能あるヤツがみんな野球にいっちゃうのと逆の意味で一緒。 現代の偏ったメディアの功罪である。 もっともかつての落語も今のプロ野球と同じポジションだったんだろうが、 あまりに保守的で現代を見ることを怠ってしまい、 今日の衰退があるのでしょう。 単純にスタイルだけの問題ではないと思う。 そんな中での文治師匠、 単に「昔ながら」でかたずけられないバリバリ現役の噺家である。 早いトコ観ておかないと後悔するよ。 |
|||